東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1814号 判決 1959年4月08日
控訴人 堀本稲夫
被控訴人 国
主文
本件控訴を棄却する。
当審における控訴人の新たなる予備的請求はいずれもこれを棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金百三十二万六千円及びこれに対する昭和二十六年九月八日以降完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人指定代理人は控訴棄却の判決並びに当審における控訴人の予備的請求棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上並びに法律上の主張は、
控訴人訴訟代理人において「一、(従前の第一次の請求原因に関する補足釈明)(イ)控訴人の加害兵士に対する損害賠償請求権の成否について-昭和二十一年五月十五日勅令第二七三号「民事裁判権の特例に関する勅令」によつて、日本国民は米軍所属兵士の不法行為による損害賠償請求について日本の裁判所に出訴を禁じられていたけれども、この故を以て日本民法の規定による賠償請求権の成立そのものを妨げるものでないのみならず、他面右米兵の本国の国内法による不法行為上の賠償請求権を有すべく、結局いずれかの法律によつて、控訴人が具体的な損害賠償請求権を取得することは当然である。(ロ)平和条約第十九条(a)項によつて放棄された請求権について-(1) 同条項によつて放棄された請求権は連合国及びその国民に対する日本国の請求権、いわゆる外交保護権のみならず「連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権」を意味することは文理上も明白であり、本件におけるように控訴人が連合国米軍兵士の職務外の不法行為により蒙つた損害につき、右行為者個人に対して有する賠償請求権もこのうちに含まれること勿論である。そして被控訴人国が控訴人の有するこの種権利を故なく放棄するという条約を締結し、以て控訴人の権利を消滅せしめたことは国内法的には違法であつて、その衝に当つた国家公務員の不法行為を構成するものである。(3) 仮りに前記条約第十九条(a)項による請求権の放棄が日本国民個人の有する請求権に及ばず、被控訴人のいわゆる国の有する外交保護権の放棄に止るとしても、政府は外国に対し控訴人の受けたような被害につき国際法上認められる外交保護権を行使し、控訴人の権利を満足させるべき憲法以下国内法にもとずく規範的条理上の要請(例えば財産権不可侵、基本的人権の尊重の原則)がある以上、かかる権利の放棄は国内法上違法としてその責任を免れない。(ハ)そしてみだりにこれら権利を放棄して国民の国内法上(国際法上に対応する意味において)の権利を侵害することは、敗戦国の立場での条約締結ではあつても、憲法の趣旨に反するを得ず、却つてこれに反しないことがポツダム宣言、降伏文書の忠実な実施にもかなうものである。二、(当審における予備的請求原因の追加)(1) 日本国は終戦後媾和条約発効までポツダム宣言の条項を誠実に履行し、右宣言を実施するための連合国最高司令官の発する命令措置の制約の下に置かれたものであるけれども、日本国政府としては、右降伏条項を実施するための障害とならない限り、日本の国内法その他国際的法規慣例を遵守すべきことを連合国占領軍当局に対し要求する権利があり、且つ要求することが国民に対する義務でもある。ところで一九〇七年十月十八日ヘーグで調印された陸戦の法規慣例に関する条約に附属する規則第四十六条によれば、国際法上占領軍は占領地の住民の名誉、財産、生命、自由を尊重し侵害してはならないと規定されているのであつて、右原則は現在の国際慣行条理でもあるから、日本国政府は、国民に対する義務として連合国占領軍当局またはその将兵に対し日本国民の生命財産を尊重し、これが侵害なきよう周知徹底せしめることを要求し、また自国の警察関係の職員をして連合国兵士が前記条約慣行を遵守し、日本国民の生命財産を侵害しないよう警戒態勢をとらしめ、若し侵害のおそれある場合には、これを防止するよう命令措置すべきであつた。しかるに連合国占領軍の駐留が行われた昭和二十年九月以降本件侵害行為発生当時(昭和二十一年十一月二十六日)までの日本政府歴代代表者(内閣総理大臣久邇宮成彦王〔20・9・2-20・9・9〕、幣原喜重郎〔20・10・9-21・5・22〕、同吉田茂〔21・5・22-5・24〕は連合軍当局またはその将兵に対し、或は自国の警察職員に対し、前叙措置をとることなく、むしろこれを放置していたのである。若し適切なる措置がとられていたならば、本件被害も発生せずにすんだというべく、即ち控訴人に対する米軍兵士の加害行為は、日本国政府の国民に対する前示保護義務違反の不作為の結果招来したものであつて、この日本政府の不作為は公務員たる政府当局者がその職務を行うにつき犯した故意または過失によるものというべきである。よつて控訴人は被控訴人国に対し憲法第十七条、国家賠償法にもとずき損害の賠償を求める。(以上第三次の請求原因)(2) またもし平和条約第十九条(a)項において日本国民(控訴人をも含めて)の連合国民に対するすべての請求権を放棄したことが、「公共のため」に必要であつたとすれば、右放棄により、控訴人の前示加害兵士に対する賠償請求権を喪失せしめたことになるから、憲法第二十九条にもとずき被控訴人国に対しその損失の補償を求める。尤も右平和条約にも日本国内法にもこの点に関する損失補償についての実定法の定めはないけれども、その故を以て国に補償の責任がないと解すべきでない。憲法第二十九条第三項は立法の指針を規定したに止らず、それ自体実定法としての性質をもつものである。仮りに補償に関する実定法が存在しないとしても正義衡平の原理にしたがい条理上国においてこれが損失補償をなすべき法律上の義務がある(以上第四次請求原因)。」と述べ、
被控訴人国指定代理人において「(一)(従前の請求原因に対する答弁の補足釈明)(イ)控訴人の加害兵士またはその所属本国に対する損害賠償請求権の成告について-(1) 本件加害行為発生当時我が国は連合軍により占領せられ、わが領土主権は連合国占領軍兵士に及ばず、日本民法の不法行為に関する規定は占領軍兵士に適用されなかつたものであるから、控訴人は直接日本民法に基ずく損害賠償請求権を取得するものではない。のみならず控訴人の自認する如く右加害米軍兵士の住所氏名が不明なところよりして対日平和条約発効当時は勿論現在においても控訴人の加害兵士個人に対する損害賠償請求権の行使は日本国内法上もその所属本国の国内法上も不可能の状態にあるものである。(2) 国際法違反行為によつて発生した控訴人の本件被害に対し加害兵士の本国たる米国が国際法上責任を負うべきかについては議論の分れるところであるが、仮りに積極論をとるにしても国際法違反の行為によつて損害を蒙つた個人は、個人の出訴を認める国際裁判所制度の認められない現状においては、結局相手国の国内法上の争訟手段を通じて相手国政府を被告として損害賠償の請求をせざるを得ないわけであり、しかも本件の場合加害兵士の所属本国たる米国内法上国家公務員の職務外の不法行為について国が賠償責任を負う趣旨の国内法は存在しないから、結局本件侵害行為により控訴人は加害者の属する米本国に対しても賠償請求権を有しない。(3) 国際法上、所属国民の権利が他国の政府ないしその所属国民により違法に侵害せられた場合、当該国は相手国に対しいわゆる外交保護権の行使として被害者に対する損害の賠償を請求し、或は、被害者に対して、相手国の国家機関がその国の国内法上一般に認められている保護又は救済を与えるように請求することができるが、この権利は当該国家のみが有する国際法上の権利であり、この権利を行使するかどうかはその国家の自由であつて、被害者たる国民において外交保護権の行使を本国政府に要求する権利は国際法上も国内法上も存在しない。従つて後記の如く平和条約によつて日本国がこの外交保護権を放棄しても控訴人に対する権利の侵害にはならない。(ロ)平和条約第十九条(a)項によつて放棄された請求権について-右条項によつて放棄された請求権は日本国が国際法上外国に対して有する前示いわゆる外交保護権に関するものであり、被害者たる日本国民個人が本国政府を通じないで、これとは独立して直接に賠償を求める国際法上の請求権或は私法上(国内法上)の損害賠償請求権の如きはこれを含まないと解すべきである。即ち後者の権利は本来国家のもつ権利でないから、国家が外国との条約によつてどんな約束をしようとそれによつて直接に個人がこの権利を失う結果を生ずるものでない。尤も日本国がその国民の連合国及びその国民に対して個人的請求権を行使することを禁止するため必要な立法的及び行政的措置をとることを連合国に対して約束することは、理論上可能なことであるが、対日平和条約は請求権の放棄条項を規定するに止り、イタリヤその他五カ国の平和条約に規定せられているような請求権の消滅条項と共に補償条項を何等規定していないのであるから、右平和条約第十九条により個人の請求権が消滅したものと論断することは困難であり、また個人の請求権行使を禁止する約束をしたものとも解することはできない。(ハ)平和条約の締結は違法な公権力の行使でない-由来敗戦国にとつて媾和条約が憲法に抵触するため、これを締結できないとすれば、媾和を行うことが不能となり、その結果国家が滅亡するか、或は少くとも独立国たる地位を喪失することにもなるので、媾和条約については、たとい形式上違憲の瑕疵ありとするも、或は革命の場合と同様一つの既成事実として裁判所その他の国家機関はこれを認めねばならないとされ、或は国家非常の観念から、戦時にあつては必要上条約締結権は憲法に拘束されないとされ、或はまた国際法優位論を適用して媾和条約が憲法上の諸権力に対して一つの優先力をもつものとされてきた。対日平和条約締結に際しての敗戦国日本の立場も右の先例と異なるところなく、右平和条約はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をした日本国がその独立を回復するため『強制されて欲した』国際的合意であるので、その内容において日本国憲法に保障する国民の権利に消長を来たす条項が規定されているとしても、平和条約の締結行為を目的して日本国憲法以下の国内法規に照らし違法なものと断ずることはできない。(二)(控訴人の当審における予備的請求原因に対する答弁)(1) 本件の前後を通じ日本国政府は連合軍将兵が日本国民に対し侵害行為をしないよう連合軍当局に善処されたい旨要求をくりかえし、且また、自国警察職員に対しかかる侵害行為を防止するため最善をつくしたものであつて、控訴人主張のようにこれを放置していた事実はない。のみならず控訴人主張の内閣総理大臣の国民に対する保護義務は、いわゆる政治上の義務に過ぎず、個々の国民の権利に対応した法律上の義務ということはできないから、右義務の懈怠を理由に法律上の不法行為を主張することは許されない。ところで内閣の首長であり且総理府の事務管理者である内閣総理大臣の法律上の職務権能並びに義務については憲法、内閣法、国家行政組織法、総理府設置法、等に詳細規定されているが、いずれにしても控訴人主張のような一般的抽象的な国民に対する保護義務というようなものは、右の内閣総理大臣の権能、義務の概念からはなれた、いわゆる政治上道義上の性格をもつに止るものである。本件において占領軍に対し如何なる方法で如何なる程度に控訴人主張のような要求をなすべきか、又占領軍軍人の違法行為に対し如何なる態勢でこれを防止すべきか等の一般的な方針は、専ら国の外交ないし政治問題としてこの是非が論ぜらるべき性質のもので、その可否については内閣が国会に対し責任を負うことはあれ、それ以上に個々の国民から法律上不作為に因る不法行為として賠償責任を追求せらるべき筋合のものでない。(2) 仮りに平和条約により控訴人の主張する如くすべての請求権が消滅し、或は少くとも外交保護権の放棄により連合国が控訴人の本件米軍将兵の加害行為に対する賠償請求権をどう処理しようとも黙認の義務を負うことを約束したものとされ、このことが更に進んで日本国憲法の保障する控訴人の財産権を否認したことになるとしても、かくの如き平和条約の締結は公益のための措置であり、正当性の認められるものであるから補償の問題が生ずるであろうが、被控訴人国においては『占領期間中における進駐軍による事故のため被害を受けた者に対する見舞金支給措置』により昭和二十二年十一月七日金二三、七三〇円、昭和二十四年七月十九日金六八、〇一〇円、計金九一、七四〇円の見舞金を支給しているので、右見舞金は補償金額に算入せらるべきものであり、しかも控訴人の請求の性質、戦争被害補償の現況、わが国経済力の状態等よりして、控訴人に対する補償は右見舞金を以て正当なる補償と認むべきである。」と述べた外は原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。
証拠として控訴人訴訟代理人は甲第一ないし第七号証を提出し、当審鑑定人高野雄一の鑑定の結果を援用し、乙第八号証の成立を認め、その余の乙号各証の原本の存在及びその成立を認め、被控訴人訴訟代理人は乙第一ないし第三号証、第四号証の一ないし三、第五号証の一ないし五、第六、第七号証の各一ないし三、第八号証を提出し、甲第三、第四号証の成立につき不知を以て答え、甲第七号証の原本の存在及びその成立並びにその余の甲号各証の成立を認めた。
理由
昭和二十一年十一月二十六日午後八時三十分頃東京都杉並区下高井戸四丁目九百二十二番地前の道路上で控訴人が連合国占領軍である米国軍隊所属の兵士(氏名不詳)二名から控訴人主張のような不法なる加害行為を受け傷害を蒙つたことは当事者間に争がない。
一、控訴人の前記加害兵士等に対する不法行為にもとずく損害賠償請求権の成否、
ところで連合国軍隊が日本に進駐後平和条約発効に至るまでの間における占領の過程において、日本国民が連合軍所属兵士の不法なる加害行為によつて蒙つた損害につき国際法上または国内法上連合国ないし加害兵士個人が如何なる責任を負うやの問題を生ずるのであるが、控訴人の主張自体によつて明らかな如く前示氏名不詳の米軍兵士の加害行為は、その職務執行外の行為であるところから、控訴人の本訴請求も控訴人の右加害兵士個人に対する損害賠償請求権の成立を前提とするものであるから、前者即ちその兵士の所属する連合国自身の責任はしばらく措き、後者即ち加害兵士個人の控訴人に対する責任について考える。
連合国占領軍の進駐後媾和条約の発効に至るまでの間における占領の過程においては、一九四六年二月二十六日附の「民事裁判権の行使に関する覚書」にもとずき発せられた昭和二十一年五月十五日勅令第二七三号「民事裁判権の特例に関する勅令」により連合国軍隊に附属し又は随伴する連合国人または団体に対しては日本の民事裁判権の行使は排除されていたのであるが、かかる裁判権行使排除の故を以て直ちに日本国内法にもとずく不法行為の成立を否定することは困難であるのみならず、仮りに被控訴人主張の如く右占領期間中はわが領土主権はこれらの者に及ばず日本国法の適用がないとしても、その加害兵士の所属する本国の法律にもとずいて被害者たる日本国民が加害兵士個人に対し訴訟を提起することは認められねばならない。しかし実際上占領地たる日本国内にそうした賠償事件を処理するための連合国の特別裁判所が設置されなかつたのであるから、かかる訴訟は連合国の本国の裁判所に提起しなければならず、訴訟手続その他の上で(殊に本件においては加害兵士の氏名は不詳であるというのである)極めて困難ではあり、且つ本件では前示の如く加害者の氏名不詳であつて前示加害行為が加害者所属本国の如何なる国内法規にもとずいて不法行為を構成するか具体的には立証されていないけれども、今日の文明国における法概念よりすれば、加害者所属の米本国法においても不法行為を構成するものと解すべきは疑を容れない。以上いずれかの国内法上被害者たる控訴人は加害者たる米軍兵士個人に対しその権利実現の困難性はともかく、理論上不法行為上の損害賠償請求権を取得することはこれを否定することはできない。
二、昭和二十六年九月八日締結された対日平和条約第十九条(a)項の解釈(特に被害者たる日本国民個人の連合国国民個人に対して有する請求権の関係において)控訴人は右条項後段によつて「日本国は……連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権」を放棄した結果、本件控訴人の前示加害兵士個人に対する損害賠償請求権を消滅せしめたと主張するに対し、被控訴人はこれによつて放棄された請求権は、日本国自身が国際法上外国に対して有する権利、いわゆる外交保護権に関するものであり、被害者たる日本国民個人が直接連合国ないしその所属国民に対して有する私法上の損害賠償請求権の如きは含まれず、本来後者の権利は国家のもつ権利でないから、国家が外国との条約によつてどんな約束をしようとそれによつて直接に個人が権利を失う結果を生ずるものでないと抗争するのでこの点につき考察をすすめる。
平和条約第十九条(a)項中特に当面の問題と関連ある後段の規定によれば、日本国は終戦後連合国軍隊の存在……行動から発生したすべての請求権を放棄したことになつている。そして右後段の規定は請求権の種類性質を明示していないが、前段との関連からみて、それが「連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権」を意味するものと解するのが相当である。即ちこの条項(a)において日本国の国際法上の請求権(被控訴人主張のいわゆる外交保護権を含めて)を放棄すれば、国民の被害をも含めて日本国として連合国に何等の請求権をもたないことになるので実質的にはそれで足りると思われるが、ただかかる表現だけでは国内法上(日本国内法上また連合国民の所属する本国の国内法上)国民の請求権が独自のものとしてのこる可能性が理論的にも実際的にもあるので、そのような国民の請求権をも一括して放棄することを「日本国及びその国民のすべての請求権」と表示することによつて、はつきりさせたものと解する。尤も対日平和条約ではイタリヤ等五ケ国と連合国との平和条約における如く、請求権の消滅条項と共に補償条項を定めていないけれども、このことから特に別異に解すべき根拠とならない。故に前示第十九条(a)項の解釈として単に日本国がその国民の受けた被害につき外交的保護のかたちで連合国に要償を提出することを放棄したもの、被控訴人のいわゆる日本国のもつ外交保護権の放棄のみと解すべきでなく、連合国ないしその国民に対する日本国民の国内法上の請求権をも含めて放棄したものと解すべきであるが、それは国際法の主体としての国家即ち日本国と連合国間の権利義務関係としてのことであるから、(被控訴人も主張する如く国民個人の請求権の如き本来国家のもつ権利でないから直接放棄の対象とならない)結局この点に関する右条項の趣旨は「日本国は連合国に対して日本の国民が連合国の国内法上または日本国内上連合国民に対して認められるかも知れない請求権を否認されてもよいことを約束した」ことを意味するに帰着する。従つて連合国としてはこの規定がなければ、その国内法上認められるかも知れない日本国民の連合国またはその国民に対する請求権を否認することが、日本国に対する関係で国際法上適法にできることになる。この場合連合国がその否認をいかなる措置で行うかはその国の国内法上の問題であり、国によつてはこの平和条約の規定にそのまま国内法的効力を認めて直ちに否認の国内的効果を発生させる制度のところもあろうし、国によつては特別な立法措置をとる制度の国もあろうが、いずれにしても日本国民は連合国民個人に対し権利としてこの種賠償請求を要求することができなくなり、それによつて連合国の国内法上の権利を失う結果となるであろう。なお前述のように右の外日本国は日本国民がその国内法上連合国人に対して認められるかもしれない請求権を放棄することを連合国に対して約束したと解する限り、この約束が日本の国内法上どのように実施され(条約の国内的効力の問題)、どのような効力をもつかは(違憲の問題等)日本国憲法以下の国内法上いろいろ問題はあろうが、既に前示条項の結果として結局日本国民は連合国人に対するその所属本国の国内法上の請求権を失つたものであること前説示のとおりである以上この問題に関する判断を詳論することを避けるが、(若し被控訴人主張の如く占領期間中に発生した本件加害行為につき控訴人は右加害兵士個人に対し日本国内法による不法行為上の損害賠償請求権を当初から取得しないとの見解に立つときは、この問題に対する検討は不要に帰する)ここでは日本国内法上も条約はその公布と共に国内的効力を生じ、従つて特別な国内立法措置をとらなくても前叙と同一理由により控訴人は日本国内法上も加害兵士に対する本件加害行為による損害賠償請求権を失つたものと言うを妨げないと附言するに止める。
(そうだとすれば前示条約第十九条(a)項において放棄された請求権は日本国が国家として有するいわゆる外交保護権のみであるとの前提の下にこの外交保護権の放棄が日本国民個人の連合国民に対して有する請求権そのものには、直接何等の消長を及ぼすものでないとの被控訴人の主張については最早論義の要を見ないし、またこれに対する控訴人の反論(前掲事実摘示中控訴人の主張一、のロの(2) )についても同様である。)
三、対日平和条約中前示第十九条(a)項の締結は、日本国憲法第十七条にもとずく国家賠償法第一条にいう違法な公権力の行使にあたるか。(控訴人の第一次の請求)
上来説示した如く前示対日平和条約第十九条(a)項によつて控訴人の前示加害米軍兵士個人に対する賠償請求権を喪失せしめる結果となつたと解する以上、控訴人が本訴第一次の請求原因として主張する如く、右条項の締結が国家賠償法第一条にいう違法な公権力の行使にあたるかどうかについて判断をすすめる。
凡そ国際法の歴史において戦敗国が戦勝国の国民が戦争によつて蒙つた損害の賠償請求権を認めつつも、自国民の同種の権利を放棄する旨を平和条約で約束することは例の多いことであり一つの国際慣行であるともいえる。殊に今次の対日平和条約は、わが国がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をなし、惨澹たる敗戦の結果、その独立を回復するため締結したものであつて、戦勝国たる連合国が右媾和条約において第十九条の規定を要求し、日本全権がこれを容れたのはまことに已むを得ない所であつたというべく、這般の事情は成立に争のない乙第四号証の一、二によつてもこれを窺い知ることができる。従つて右第十九条(a)項の規定が内容において日本国憲法の保障する国民の権利に消長をきたす結果となつても、右平和条約の締結行為を目して日本国憲法以下の国内法規に照らし違法不当なものと断ずることはできず、もとより日本全権団ないし日本政府が同条約第十九条に同意したことを以て、違法な公権力の行使にあたらないというべきである。控訴人の第一次の請求は理由がない。
四、保証債務の履行を前提とする控訴人の第二次の予備的請求について、
控訴人は更に昭和二十二年一月四日の閣議決定「進駐軍事故のため被害を受けた者に対する見舞金に関する件」にもとずき被控訴人国が同年二月十一日附控訴人の本件被害に関する申請を受理したことを以て、加害者の賠償債務につき、国が保証したものであると主張するが、この点に関する当裁判所の見解は、原判決理由(四)に説示するところと同一であるからこれをここに引用し、右保証契約の成立を前提とする請求は理由のないものと判断する。
五、控訴人主張の日本国政府歴代表者たる内閣総理大臣の不作為による国民に対する保護義務違反を前提とする請求(当審で追加せられた第三次の予備的請求)について、
凡そ占領軍と雖も占領地の住民の名誉、身体、財産を尊重し、侵害してはならないことは、国際法ないし国際慣例条理でもあるから、日本国が連合国軍隊に占領されていた間でも、日本国政府としては連合軍当局に対し本件のような不祥事の発生を未然に防止するため適当な方法を以て交渉要求をすることができ、この要求をなすこと及び自国警察職員に対しても、常に警戒態勢を以て臨むよう措置し、以て国民の生命財産を保護することは一般国民に対する責務でもあろう。しかし控訴人主張の政府の首長たる内閣総理大臣の国民に対するこの保護義務は、いわゆる政治上道義上の性格をもつに止るもので、個々の国民の権利に対応した法律上の義務ということはできない。本件において政府が占領軍に対し如何なる方法で、如何なる程度に控訴人主張のような要求をなすべきか、また占領軍将兵の違法行為に対し如何なる態勢でこれを防止すべきか等、一般的な方針は、専ら国の外交ないし国内政治問題としてその是非が論ぜられるべき性質のもので、その可否については内閣が国会に対し政治上の責任を負うことはあれ、それ以上に被害を受けた個々の国民から不作為による法律上の義務違反として国家賠償法による不法行為上の賠償義務を追求せらるべき筋合はないといわねばならない。況んや政府当局者が本件のような連合軍兵士の侵害行為の発生を未然に防止するため、何等の措置をとらず、漫然これを放置して顧みなかつたという点については、これを認むべき立証もなく、却つて成立に争のない乙第一号証によれば、政府は占領軍当局との交渉その他においてかかる事態の発生を防止するため終始最善の努力を重ねたけれども、不幸本件外幾多不祥事の発生を見るに至つた経違を窺知することができるから、いずれの点からしても控訴人の右請求は理由がない。
六、控訴人主張の損失補償の請求(当審で追加せられた第四次の予備的請求)について、
控訴人は前示対日平和条約第十九条(a)項に日本国が同意したことが、若し公共のため必要であつたとすれば、右条約締結の結果前示加害兵士に対する不法行為による損害賠償請求権を喪失せしめられた控訴人としては、日本国憲法第二十九条第三項により損失の補償を求める旨主張する。
この点に関しては上記三、に説示したところをここに引用し、右と同一理由で敗戦という特別の事態によつて締結せられた対日平和条約第十九条(a)項により、個々の国民の権利が侵害される結果となつても、日本国憲法第二十九条第三項により、当然には国に補償の法律上の義務を生ずるものでないと考えるのみならず、さきにも一言した如く対日平和条約第十九条にはイタリヤ等五ケ国の平和条約における如く「請求権の消滅」条項の外に日本国としてその国民に対する「補償条項」を定めていないのであるから、右条約の公布が直ちに国内的効力を生じると解しても、別に補償に関する国内的立法措置をとらない限り、具体的にはこれが補償を追求するに由なきものといわねばならない。そして右補償の要否、補償の程度如何は同様の事情の下に締結された平和条約第十四条(a)の2の日本国民の在外資産の処分等に関する補償等とも関連して、今後の立法政策の問題として解決する外はないであろう。この点に関し被控訴人主張の如く控訴人が「占領期間中における進駐軍による事故のため被害を受けた者に対する見舞金支給措置」により国からその主張のような見舞金の支給を受けたことは、控訴人の明らかに争わないところであつて、補償に関し何等の実定法の定めない現在においては右見舞金以外に憲法第二十九条を理由として財産権侵害にもとずく正当な補償を求める控訴人の請求も許容できない。
よつて爾余の争点に関する判断を俟つまでもなく、控訴人の第一審以来主張してきた本訴第一次及び第二次の請求を棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条に則り、本件控訴を棄却すべく、当審で新たに追加した第三次及び第四次の予備的請求はいずれも失当としてこれを棄却すべきものとし、控訴費用の負担につき同法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 柳川昌勝 坂本謁夫 中村匡三)